読書感想文 白痴

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読書感想文2 文三のルサンチマンについて 二葉亭四迷 『浮雲』

浮雲 (岩波文庫)

 
岩波文庫 31-007-1
1992年 4月15日 第59刷
(1941年 3月24日 第1刷 本書の初版)
 
概要
 
1887年から1889年にかけて発表された作品。3編第19回で未完となっている。物語は以下の人物の三角関係を軸に進む。
 
 
内海文三...学問はできるが世渡りが下手
本田  昇...要領がよい、軽薄才子
お勢  ...器量良しだがかぶれやすい
 
 
官僚批判や世相への皮肉はあるものの、作者の関心は自身の心に湧いてくるルサンチマンへの葛藤にあると思う。文三のモデルが作者自身なのは明らかだ。彼の言動や心理に作者の苦悩が反映されている。ちなみにルサンチマンの意味は下記のとおり。
 
 
ルサンチマン...強者に対する弱者の憎悪や復讐衝動などの感情が内功的に屈折している状態。ーー怨恨
 
ルサンチマンとレッテル貼り
 
文三と昇は対照的な性格だ。昇は人の機嫌取りが得意で、課長にプレゼントしたりと外交や人付き合いに熱心だ。その甲斐もあってリストラを免れ、昇進までした。対して文三は努力家で秀才だが、頑固で融通が効かない。間違っていると思った事を割り切って実行できない。結果、失職することになる。
 
 
次第に文三は昇(強者)へ劣等感や畏れを抱いてゆく。それはそのまま恨みに変わっていく。そして相手へのレッテル貼りによって溜飲を下げる。現に文三は昇の事を卑屈で下劣な者と見下したような発言をする。しかし作者は文三にも悪いところがあったと認めている。作中で、文三の叔母はそれをバシバシ指摘するし、お勢も「あなたと気が合わないものはみんな破廉恥ときまっていない」と言う。よくないと分かっていてもつい湧いて出てくるこのルサンチマンに、作者は嫌気がさしているのだろう。文三と昇、どちらがいいのか、結局答えは出なかったから本作は未完となったのだろう。
 
 
文三のように人を見下す行為は非常に卑しいことだが、身の周りでも見かけることが多い。学生の頃、クラスで騒ぐ女子グループを見て、「馬鹿は羨ましい。何の悩みもないだろうから。」と呟いた女子を見た。その女子は、僕らのクラスでは全くモてない部類の子だった。騒いでいる女子グループとの間には、明らかにスクールカーストに基づいた上下関係が存在していた。当然誰にでも悩みはあるし、その女子グループは馬鹿と決まったわけではない。相手を知ろうとせず、頭ごなしに否定するのは相手を畏れているからだ。本書では、実は昇にも彼なりの苦悩があることも匂わせている。しかし文三には歩み寄ることができるほどの余裕はなかった。
 
 
上記の女子のことは、学校という価値観の多様性を欠いた狭い空間では無理も無いことだと思う。だけどこういう「ルサンチマンを抱く→レッテルを貼る」というサイクルはインターネット上でもよく見られる。(”軽薄”、”下品”、”馬鹿”という単語がよく使われるのも明治からの伝統だろうか。)その点、二葉亭四迷はこれを(頭では)理解し、文三を諌めることで向き合おうとしたと思う。彼の感覚が浮世離れした印象が無く、我々に近いと感じたのはそのためだろう。
 
以上、