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読書感想文 白痴

I'm a hakuchi

雑記3 わからないということがわかるということ 加藤陽子 『戦争まで』を読んで 

雑記

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

 

歴史は苦手だけど、なんとか全部読めた。この本、まず何よりもむちゃくちゃ丁寧である。巻末の参考文献をみても解るとおり、ちょっとした小論文ぐらいたくさんの史料を丹念に読み込んでいる。一つの史料にたいしてどう思うか、どういったことが読み取れるかを慎重に議論している。著者は東大大学院の教授。2016年4月に行われた中高生向けの講義を再構築し、加筆したのが本書。どう考えても中高生には難しい内容なんだけど、とくに「中高生に語る」とは銘打っておらず、大人が読んでも十分に歯ごたえがある。

 

正直たいして内容は理解できていなかったので、本書の内容についてはこれ以上突っ込まない。が、twitterにも書いたとおり、少し思うところがあったので、もう少し長い文にしてブログに書くことにした。

 

 

世の中、専門家でも「わからない」ことがある

 

本書を読んでいて一番に思ったことは、「歴史ってむちゃくちゃ謎だらけだな。」ということだ。自分でも権威主義だなと思うが、東大の教授でもわからないことがある、ということにビックリ。参考にされている史料も膨大な数にのぼるが、それでも「このとき、米国にはこういう思惑があったのではないか」、「日本はこう考えていたのかもしれない」と推測の域をでない議論が進む。しかし、専門家のようによく知っている人間ほどこういった控えめな表現をする。それは普段からその問題によく取り組んでいて、散々考えた挙句に、また様々な疑問や問題にぶつかり、やっぱり確定的なことは言えないと気づくからだ。

 

それに比べて、SNS等のインターネット上の論調を見ているとわかるが、素人ほど断定的な言い方をしたがる。これは本当に恐れ多いことだな、と思う。あなたより何倍も長い時間、遥かにたくさんの史料にあたった専門家でもはっきり言えないことがある。それをなぜパンピーのあなたがハッキリと言えるのか。特にインターネットに限ったことではない。人が抱える問題や仕事について、よく事情もわかっていない人間ほど「こうやったらいいだよ!」といって茶々を入れてきたりする。よく知りもしない他人のことを、断定的に「○○なやつだ!」と非難する。

 

わからない、ということがわかるには相当の労力を要する

 

思えば、よく知りもしないことほど本人の偏見が入りやすいのではないか。だからそういう断定的な言い方をしてしまうのだろう。「ハッキリいって正解はよくわからない。」といえるのは、その問題についてよく考え、調べた人間だけに許されることだと思う。逆説的だけど、ある問題について「自分はわからない」と気づいた人間は、その問題について「よく知っている」ということになる。無知を自覚するには本当にたくさんのことを知らないと、そこまでたどり着くことができないのだ。

 

いやいや、そうは言ったって、興味の無い問題とかについて「わからない!」と言えるだろう。という人もいると思う。しかしそれは「わからない」なのではなく、「なんにもしていない」だけだ。つまり、わからないどころかその問題に取り組もうともしていない、無関心と怠惰であって、ここで話をしている「わからない」とは全く話が違う。こうしてみると、世の中「無関心」と「偏見」でできているように見えてしまってそれはそれで世知辛くて嫌だけども。

 

で、これは大発見だぞ!と断定的なことを思っていたところ、よくよく調べたら似たようなことをソクラテスが2000年前に言っていたようだ。そんなことも知らずにしばらく無邪気に喜んでいた。危なかった。よく調べておいたから自分の無知に気づき、結果恥をかかずにすんだ。やはり無知であることを知ること、「無知の知」は大切である。

 

以上