読書感想文3 家族は安全でなはい 斎藤学 『依存と虐待』を読んで
概要
共依存について
家族関係の悩みについてネットの記事を読むと、よく「毒親」という概念を耳にする。これは子供の毒になる親のことで、過干渉や虐待などで子供の発育に悪い影響を及ぼす親のことをいう。生きづらさの原因を親に求める場合、自分が被害者だと一方的に思いがちだ。だが実際はお互いがその関係から抜け出せなくなっている共依存にあることが多い。真に必要な解決策は、子による「親離れ」と、親による「子離れ」だ。もしも、家族との関係に問題を抱えているなら、あなたのするべきは彼らと「対決」することではない。また、自分が強くなって「成長」することでもない。特殊な人間関係を解消することに全力を傾けることだ。
家族は安全ではない
本書で紹介されている事例や自身の経験からいえることは、家族は思ったよりも安全ではないということだ。その私的な空間では公の法律は適用されない。小さな子供にとって、荒んだ両親は恐怖の対象で、その影響は絶大だ。(問題のある家庭で育った子供もまた、共依存となる可能性があるといわれている。)家族はあたたかいものという価値観を押し付けようとし、世間はこの問題から目を逸らそうとする。アメリカでは親による性的虐待という問題が公に認められ、議論されるまで非常に時間がかかったそうだ。
僕自身も、言い争いをする家族や、女性に暴力を振るう父に怯えながら部屋の片隅で震えていた経験がある。今にして思えば、「弱くて可哀相な父親」と「女手ひとつで子供を育て上げた母」に対して離れることも反発することもできなかった、そういった歪んだ人間関係があったのだと思う。結婚をして本質的に家族と離れることで、僕は改めて家族の危険性を客観的に理解することができた。
雑記2 日本の面接は本当にコミュ力重視か
この年になると周りがけっこう将来のことを考え出し、仕事を辞めるとか転職したとかいった話をよく聞く。就職といえば面接である。あー自分はコミュ力(コミュニケーション能力)がないから上手くいかなかったな、とか思い出して苦い気持ちになった。しかし面接でコミュ力が重要だといわれるわりに、「コミュ力抜群の人間」というものは周りにそうそう存在しない。それでも僕の周りの人間のほとんどがなんらかの面接をパスして仕事やNPO活動等を行っている。果たして面接でコミュ力は重要なのか。
「コミュ力重視で採用なんかするから、日本の経済力は地に落ちた!」なんていう議論もたまに目にするが、本当にそうだろうか?少なくとも自分も含めたまわりの人間がコミュ力抜群とは思えないのだ。
面接は論理的思考力を重視する
働いている身からすると、別にコミュ力抜群の人間がほしい!と思ったことはない。末端の僕がそうなのだから、役員や人事だってそこが欲しいとは思ってないだろう。逆に来て欲しくないのは、論理的に物事を考えられない人間だ。暗い人や声が小さい人より、こういう人と接しているほうが、実はイライラすることが多い。
そもそも論理的思考力とは何のことだろうか?ものすごいありふれた言葉だ。僕は「順序立てて、ステップを踏みながら、ゴールにたどり着くことができる力」だと思っている。そして、「あるステップから次のステップに移るとき、その理由をしっかり説明できること」がポイントだ。これができない人は物凄く仕事の効率が悪い。
一番の理由は、単純な暗記に頼って仕事をすすめるのですぐに脳のキャパシティがいっぱいになるからだ。AだからB,なのでC。Cということは答えはDだ。という思考は一見回りくどくて、「答えはD」という事実を覚えておくだけの方が効率がいいように思える。だけど仕事には本当に色々なパターンがあるので、その答えはD1,D2,D3,,,,,,といくらでも出てきてやがて覚えることができなくなってくる。重要なのはむしろA→B→Cというステップの踏み方を身につけて、色々な場面に応用できることだろう。また、これができないとレパートリーに無い場面に出くわしたときに何もできなくなる、という弊害もある。それが本当に答えが出せなくて上司に相談すべきものか、もっと考えればわかる問題なのかもわからない。だから「あいつはどうでもいいことを聞いてくるくせに、自分の判断で勝手にやばいことをやらかす。」なんてことを言われる。
企業が面接を行う際もこの能力を見る。企業活動はリスクの塊で、常に答えがない問題にぶち当たる。そういうことに対して自分なりの意見を持つことができて、どうしてその意見に至ったかを説明できるかどうかを見極める。むしろ、口がうまくてハキハキしているだけの人間に本気でだまされるほど会社は甘くないと思うべきだ。
コミュ力無くても自信を持つべき
なんでも極端はだめなので、さすがにコミュニケーションが全くできなかったら面接は難しいだろう。だけど、そもそも面接のようなガチガチに緊張する場でうまく喋られるなんて企業は期待していない。経験上、話しづらそうにしていると、面接官側からも色々と誘導してくれることが多かった。それは彼らが応募者の頭の中を見たがっているからだと思う。だから、面接を受ける際は聞かれたことの意図を汲み取って、それに対してむちゃくちゃ考えて、その過程を一生懸命説明できればそれでいいと思う。
だから自分にコミュ力が無いからと言って絶望するのはもったいないと思う。がり勉は低評価、サークル幹事は高評価、みたいな二元論にだまされないほうがいい。「恋愛経験豊富な方が、仕事ができる。恋愛のプロセスは仕事と同じ。女もおとせないようでは顧客も落とせないぞ!」みたいな、うまいこと言ってやったとしたり顔な気持ちの悪いコラムなんか気にしないほうがいい。童貞でも一流企業で働いている人間だっているだろう。
人事でもないのに偉そうなことを書いてしまったけど、働いている身から思ったことを吐き出してみた。とにかく自信をもって頭をむっちゃ使いましょうということ。
以上
読書感想文2 文三のルサンチマンについて 二葉亭四迷 『浮雲』
雑記1 日本経済新聞社 『株価の見方』を読んで