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読書感想文3 家族は安全でなはい 斎藤学 『依存と虐待』を読んで

依存と虐待 (こころの科学セレクション)

 

日本評論社 こころの科学セレクション
2005年10月30日 第1版 第7刷
(1999年2月10日 第1版 第1刷)

 

概要 

 

 虐待が起こった家族にみられる心の病や、問題を抱える家族が抱える依存症について、複数の小論文やエッセイをまとめたもの。精神医学、臨床心理学の専門家からNPOの代表、元依存症患者まで様々な立場の人々が執筆している。

 

どの章にも共通しているのは、依存症は本人のみならずその家族全員を巻き込んで進行する、という認識だ。特に家族が"共依存"という依存症にかかると、時に患者本人の病状を悪化させることがあるという。この共依存という用語は本書のキーコンセプトとなっている。

 

共依存について

 

永田カビ 著 『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』のような内省的なエッセイのヒットを通して、家族の機能不全とその弊害について広く語られるようになったと思う。色々な議論のなかでよく訴えられている「生きづらさ」は共依存という概念の様々な具体例だといっても過言ではないと思う。
 
 
共依存とはアルコール依存症などと同様、依存症の一種だ。他人の問題に関わり、それに振り回されていないと平常を保てない状態、またそういった特殊な人間関係のことをいう。
 
 
この概念はアルコール依存症の臨床から生まれた。一見、被害者に思われる依存症患者の妻が、実は自身の置かれた境遇に耽溺してしまっており抜け出すことができない。自分の不幸と無力に旦那(と子供)を巻き込み、支配しようとする。結局、夫は「ダメな妻」のもとでは現状を変えようとしないし、妻は「アル中の妻」という立場に立つことで自己を承認する。互いにこの不健全な関係を求める、共に依存し合うから共依存なのだ。

 

 

家族関係の悩みについてネットの記事を読むと、よく「毒親」という概念を耳にする。これは子供の毒になる親のことで、過干渉や虐待などで子供の発育に悪い影響を及ぼす親のことをいう。生きづらさの原因を親に求める場合、自分が被害者だと一方的に思いがちだ。だが実際はお互いがその関係から抜け出せなくなっている共依存にあることが多い。真に必要な解決策は、子による「親離れ」と、親による「子離れ」だ。もしも、家族との関係に問題を抱えているなら、あなたのするべきは彼らと「対決」することではない。また、自分が強くなって「成長」することでもない。特殊な人間関係を解消することに全力を傾けることだ。

 

家族は安全ではない

 

本書で紹介されている事例や自身の経験からいえることは、家族は思ったよりも安全ではないということだ。その私的な空間では公の法律は適用されない。小さな子供にとって、荒んだ両親は恐怖の対象で、その影響は絶大だ。(問題のある家庭で育った子供もまた、共依存となる可能性があるといわれている。)家族はあたたかいものという価値観を押し付けようとし、世間はこの問題から目を逸らそうとする。アメリカでは親による性的虐待という問題が公に認められ、議論されるまで非常に時間がかかったそうだ。

 

 

僕自身も、言い争いをする家族や、女性に暴力を振るう父に怯えながら部屋の片隅で震えていた経験がある。今にして思えば、「弱くて可哀相な父親」と「女手ひとつで子供を育て上げた母」に対して離れることも反発することもできなかった、そういった歪んだ人間関係があったのだと思う。結婚をして本質的に家族と離れることで、僕は改めて家族の危険性を客観的に理解することができた。

 

 

変にタブーにせず、この問題をせめて認識し、もう少しオープンに議論できればいいと思う。



以上