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読書感想文5 使命をもって生まれてくるということ  カズオ・イシグロ 『わたしを離さないで』 【ネタバレ】

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

2006年 6月25日 第4刷
(2006年 4月30日 第1刷)

重大なネタバレがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

概要 


作者は長崎生まれの日系英国人。ブッカー賞受賞作家の長編ということで注目されたらしい。確か、日経新聞の文化欄に同作者の『浮世の画家』が紹介されていたのが興味を持った始まりだった。(先にこっちを読んでしまった。しかも浮世の画家はまだ読んでいないという体たらく。)本作は去年TBSでドラマ化もされたので、知っている方も多いのではないか。

 

 

主人公達は臓器提供のためだけに生み出されたクローンだ。残酷な運命になすすべも無く飲み込まれる若者達の青春を描く。主人公達の正体はそこまで秘密にされることなく、物語の途中であっさり暴露されてしまう。作者は狙いはそんなドンデン返しではない。このシビアな世界観をみて、読者が何を思い、感じるかということだろう。

 

 

使命を押し付けられること

作中で主人公達は使命をもって生まれてくる。命をかけて困っている人に臓器を提供すること。本人達も「聞こえはいいけど、死ねってことだろ。。。」とげんなりしている様子だ。人に使命を課すことは非常に残酷なことで、都合のいいことだ。そのことを風刺したディストピアがこの物語の舞台なんだろう。

 

 

特に、使命を盾にして青春を否定する大人たち、世の中が強調されている。使命を実現するために必要なことだけが重要視され、他はないがしろにされる。この作品ではセックスと芸術が青春のシンボルとされ、それがことごとく否定される。

 

 

セックスは性病が臓器を傷つけるリスクがあり、何よりもクローンは子供を生めないので、あまり推奨されていない。芸術は初め、主人公が幼少をすごした施設では熱心に教育される。これはクローンにも人間らしい心があることを伝え、彼らの人権を擁護するための啓蒙活動の一環だった。しかしこれも最終的には行き詰まり、創作活動など無駄だと世間は結論付ける。つまり、「お前達はただただ与えられた使命を黙って遂行すればよい。」という世の中からの圧力が存在している。

 

 

寄り道を許さない社会の窮屈さは、作中のものほどではないにしても、われわれの生活でもよく見られる。「いい歳をして道楽に明け暮れて、大人として恥ずかしくないのか。」「大人はだまって働いて子供を育てろ。」だとか、世間は常識の名をかりて他人に使命を課したがる。使命の遂行に関係のないことは子供のすることだと指摘し、悦に入りたがる。「卒業」「成人」等の通過儀礼に漠然とした恐怖を抱きながら、モラトリアムの終わりを予期し憂鬱な青春を過ごす。主人公達はいわばこれの究極の形を体験することになる。

 

 

僕は某宗教活動に関わることがあった。宗教を良いことに使っている敬虔な人と、悪いことに使っている小賢しい奴がいた。そういう奴は好んで使命という言葉を使って人を操ろうとした。人が使命を持って(課せられて)生まれてくることなど決して無いし、あってはならないと思う。もし人の使命を高らかに掲げて、それを推進するものがいれば、それは作中の大人達と同じ搾取者だ。

 

 

他人の寄り道にケチをつける者がいれば、それはただの嫉妬深い人間だ。目的や義務に関係のない知識は「教養」として尊ばれることもあるし、レジャーは堕落や逃避ではなく余裕の表れであり「休養」だ。人が持つべきは使命ではなく、本人がすすんで掲げる目標だろう。無駄なことかどうかは他人ではなく本人が決めることだ。

 

 

カズオ・イシグロが提示した残酷な世界観は、この小説のようなSFの世界ではなく、身近な社会の生きにくさを反映し、考えさせてくれるメッセージだと思う。

 

以上