読書感想文 白痴

I'm a hakuchi

雑記7 宗教棚を作りたい

近頃、宗教に傾倒している。

 

日本では、宗教のイメージが良くない。オウム真理教イスラム国以外の宗教を知らない日本人。これは大変な悲劇だと思う。(当然、オウムとISは宗教ですらないけど。)これだけイメージが悪いのだから、宗教に興味がある人のことを「心の弱い、何か依存するものがないと生きていけない愚か者。」「だまされやすい金づる。」と罵倒する人が出てくるのもわかる。

 

だけど、もしも身近な人が亡くなった場合、一切の宗教的バックグランドを取り除いて気丈に振舞うことはできないと思う。少なくとも僕にはその自信がない。やはり死んでしまった人間の魂が安らかでいることを心から願うだろうし、その魂の永遠性を望むだろう。(飼い犬が死んだときでさえそう思ったのだから!)

 

僕自身、30歳を超えて、確実に身体がおかしくなってきており、よくわからん病気みたいなものも見つかってきた。また、そう遠くない未来に、身近な人の死も経験することになるだろう。僕の家系は代々病気をする血筋である。祖父も父も障害者で、僕自身も幼いころから身体が悪い。そんな人はいくらでもいるだろうが、宗教はそういった沢山の人たちを支えてきたではないか。

 

一般的な観点からいう「死」というものに疑いを持った僕は、少しばかりの哲学書を齧り、優生学にショックをうけた僕は、障害者(近いうちに僕自身もそうなると思っている)のことを考えながら、命は誰のものなのかを考えたりしていた。で、そういったことは既に宗教が得意分野としてさんざん説いてきたことである、ということを知った。

 

やはり行き着く先は宗教なのではないか?と思い始めてきた。行き着く、というよりかは「そこに戻ってくる」という感覚である。

 

しかし、宗教でもっとも大切なことは信じることである。仏でも、ゴッドでも、アッラーでも、ヤハウェでも、それに帰依することから始まる。

 

僕は偉そうに「宗教は重要だ」と語ることはできるけど、心の底からは信じていない。だから、そこは自分らしく、知識とか勉強とかで外堀から埋めていきたいと思っている。一番僕に合う方法は、いろんな宗教の本を読むことである。宗教の本は面白い。当事者でなくても、その宗教の言わんとするところのほんの表層だけでも、さらりと触れることができる。便利だ。

 

沢山、色々読んで、家の本棚に宗教棚を作りたい。

 

以上。